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銘木玉椿
戦国時代、毛利、尼子との合戦の時、満願寺城は毛利元就の陣地になったことがある。
永禄7年(1564)春、元就は病気になり、京都から日本一の名医と云われた間直瀬道三を招き療養につとめた。この療養は約一年間続いたようで、本陣の洗合城と行き来をし、その間に「雲陣夜話」を書いたり、「太平記」を写したりした。
この頃、寺の境内中央に植えられたのが「玉椿」(たまつばき)である。
目通周囲1.5メートル、樹高約5メートルで、色は紅色直径7~8センチ、中~大輪八重の古木である。
「贈従三位元就卿詠草」にまんがん寺にて椿を見侍りて
「おもかげは深山木(みやまぎ)ながら花ぞともけさ白露の玉椿かな」
「梓弓(あずさゆみ)はるの光の玉椿八千代(やちよ)もおなじ盛りをや見む」
*「評、八千歳を春とし、八千歳を秋とする由侍れば、分国の栄えしはか
られ候,干時元亀第三暦仲呂吉辰,懸車老翁特進〔三条西)実澄」*
と二首が元就お手植え椿と共に今もなお咲きほこっている。
ただし近年樹齢500年の老木の為、先端から枯れつつある状態です。
この椿は安藤芳顕氏(神戸市八幡町)の大著「つばきー名花の紹介と栽培」 に紹介され安藤氏のお世話によりイタリアの椿協会会長アントニー・セレベシ博士がイタリアで繁殖させたいとのことで送られたことがあります。
花の見頃は3月中頃~4月初旬
参道の椿
満願寺黒
鐘楼堂 大慈大悲の梵鐘
響け宍道湖へ 届けみほとけの声
「観音さまの鐘」は湖上を響流し
我々の心をいましめ、目覚めさせてくれます。
鐘は住職の設計によるもので、
本尊、四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)が配され、
空海二十四歳筆の「聾瞽指帰(ろうこしいき)」
より集字された文字が刻まれています。
四国八十八カ所霊場お砂踏み石
弘法大師空海上人が開かれた四国八十八カ所霊場寺院の本堂と大師堂の床下及び軒下の雨にうたれて清められた土砂を踏み石の底をくり抜き蓮華模様の下に埋め込まれています。
いつでもお参り出来ます。
平成七年十二月十七日開創
十二支なで地蔵
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十二支なで地蔵 各画像をクリックすると別ウィンドウで 拡大画像が表示されます。 |
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霊木 大銀杏
千有余年前当山開基時よりの古木と伝えられ、出雲巡礼者や観音信者の朝夕の遥拝の目標とされている。たび重なる落雷にも朽ちることなく、昔からの寺の火難除けとされている。目通り周囲5.2メートル、樹高20メートル。
湖上の漁船からは「山を立てる助っ人」とされ、順路をとる札打ちさんにはあと少しの旅路の安全を微笑みかけている。
掃除地蔵のおはなし
周利槃陀伽(チューラパンタカ)は箒で掃除をすることに徹底し悟りを開いた。
「塵を払い垢を除かん」とは、心に積もる煩悩の塵を払い、心にこびりついた邪念の垢を除くことであり、槃陀伽は、自分の名前さえ忘れてしまうほどだったので背中に自分の名前を書いて伝えたと云う。
亡くなった後、墓の上に最初に咲いた花を「茗荷」と名付けられた。
御 詠 歌
思い立ち満る願こそうれしけれ巡礼道も三十一文字