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本堂内のご案内

 

下の写真をクリックすると詳しい説明がご覧になれます。

 


本尊観世音菩薩


両頭愛染明王


丑大黒天


宇賀弁才天

薬師如来十二神将

 

本尊聖観世音菩薩

やさしい母の姿に似て、左手に蓮華を持ち右手を垂れ下されている仏さま。この姿こそ満願寺の聖観音さまです。

 

 左手の蓮華は私達の合掌の姿です。どんな苦しみにも耐え、本来そなわっている仏の心に目ざめなさいと説く、汚泥不染の徳。合掌の祈りこそ菩提の種をまくことであり、次の世代の幸せにつながりますと説く、花果同時の徳。大賀ハスの種は約二千年の眠りから見事な花を咲かせました。合掌なる願いは必ず成就すると説く、種子不失の徳。これ等を蓮華の三徳と申します。

 

右手を垂らし手のひらを私達に向けた姿を施無畏の印と申します。施無畏とは、畏るること無きを施すと、即ち「怖がらなくてよい」と示された安心の御手なのです。

 

菩薩とは、仏でありながら、お姿を種々に変化して、我等衆生の内に出現され奉仕者となってお救い下さるのです。まさにあなたの話のお相手が観音さまかも知れません。相手から見ればあなたが観音さまなのです。
本尊は秘仏で33年に一度の開帳があり、次回は平成35年春の予定です。

 

両頭愛染明王

 尼子合戦の折り毛利勢の陣となり、毛利元就公病気平癒により寄進された、愛欲を悟りの心に変え浄化しようとされる愛染明王と不動明王の二つの顔をもつ仏様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

丑大黒天

大黒天とは、梵語で摩訶迦羅といい、密教では自在天の化身で仏教の守護神。

 

満願寺の丑大黒天は座った牛の鼻先に大国さま(大国主神)が俵を足台にしてお座りになっている。

 

大きさは、
 牛は、長さ19センチ・幅10センチ
 大黒さまは、丈2センチ・幅1.7センチ
あり、重さ900グラムの黒色素焼製のもの。

 

これは代代松江藩の家老大橋家に伝わり厨房に祀られていました。先住栄禅師が当寺に晋山されるとき「開運招福の象徴」として同家縁の人から贈呈されたもので、爾来満願寺守護の大黒さまとしてお祀りするようになりました。

 

 

 

 

宇賀弁才天

満願寺の弁才天は頭に宇賀神(穀物・福の神)を戴いた御身丈十二センチの木製座像で八センチの台座に乗りお厨子の中に鎮座しておられます。

 

長い間、厨房の神棚でお身許不明のまま丑大黒天と同居しておられたが、昭和六三年春本堂新築の為什物台帳を調べていた際棟札が発見されご身分が判明しました。

 

棟札によると明治二十年に美保神社よりお遷りになり裏山の奥の院に祀られたもの。その後山崩れの為奥の院が倒壊し、弁才天は安全な厨房に移されたと推測されます。

 


弁才天のご生誕は己巳年己巳月己巳日巳之刻とされているがそれは丁度平成元年五月九日十時と符号します。棟札が発見されたのは弁才天がご自身の生誕刻に再顕し、晋くご利益を及ぼさんとの思召であるとして満願寺ではその日を期して開現供養を行ない参詣した沢山の信者におかげを分かちました。

以後、弁才天の大祭を五月九日、縁日を己巳の日(年六回)とし、ご本尊と一緒にお詣りの方々を待つことになっています。

 

薬師如来十二神将

各画像をクリックすると拡大画像が表示されます。


伐折羅
(ばさら)

宮毘羅
(くびら)

毘羯羅
(びから)

招杜羅
(しょうとら)

真達羅
(しんだら)

 

 


安底羅
(あんてら)

頞儞羅
(まにら)

珊底羅
(さんてら)

因達羅
(いんだら)

波夷羅
(はいら)

 

満願寺本堂の位牌堂には薬師如来さまがお祀りされています。満中陰(49日)を導き下さる本尊様で、49日の法事を以て、薬師如来の位牌堂に霊が納まるとも言われています。『薬師如来本願功徳経』のなかで、薬師如来は「自分の名を聞くや、たちどころにその苦しみから救われるようにしたい」と、十二の大願を説かれ、現世利益の仏さまとして広く庶民の信仰を集めてきました。お釈迦様が、この薬師如来の功徳について説かれたとき、その場に十二神将がいて、お釈迦様の説法に厚く心をうごかされ、「今後、薬師瑠璃光如来の名号を唱えるものあれば、我らこの人を守護し、一切の苦難を解脱せしめ、所願を成就させる」と、お釈迦様に誓ったといいわれています。以来十二神将は薬師如来の分身となり、この世で苦しむ人々を救うために、それぞれが七千の部下を率いて、ふりかかる厄難をたちどころに追い払い、無病息災をはじめ、家運、財運などの吉祥をもたらし、十二方位、十二支の守護神となったのです。
平成13年11月に薬師十二神将の奉安を発願。一年かけやっと十二体「欅作り・高さ25センチ」が完成し、平成14年12月17日の納歳観音大祭に合わせ開眼法要を厳修させて頂きました。
十二神将のお名前 (お祀りしてある右から)
1、【子】毘羯羅(ぴから)神将
2、【丑】招杜羅(しょうとら)神将
3、【寅】真達羅(しんだら)神将
4、【卯】摩虎羅(まこら)神将
5、【辰】波夷羅(はいら)神将
6、【巳】因達羅(いんだら)神将
7、【午】珊底羅(さんてら)神将
8、【羊】頞儞羅(まにら)神将
9、【申】安底羅(あんてら)神将
10、【酉】迷企羅(めきら)神将
11、【戌】伐折羅(ばさら)神将
12、【亥】宮毘羅(くぴら)神将

 

金亀について

満願寺「金(こん)亀(き)」開眼
当山の開創の縁起に、平安時代53代淳和(じゅんな)天皇の天長元年(824)真言宗の開祖、弘法大師空海上人、出雲巡化の折、杵築(出雲)大社へ参籠の道途中で夕暮れになりこの地に留まられた。風光明媚にして地位高燥、東には遥かに出雲富士(霊峰大山)を仰ぎ、南には宍道湖を眼下に望み西には重畳(ちょうじょう)と山々が折り重なり出雲への湖北街道が走り、北には佐陀の入海と北山山脈が浮かび、まさに四神相応の地であるとして、しばらく逗留され、一刀三礼、真心を込め彫られたのが当山本尊聖観世音菩薩(2尺3寸・75センチ)である。体内に天長元年3月17日と記し、入仏加持開眼供養をされた。するとにわかに宍道湖の水面がざわめき、水柱と共に数尋の龍神が姿を現したのである。空海上人はその龍神に向かって、「諸仏(しょぶつ)大悲(だいひ)方便力(ほうべんりき) 普(ふ)利(り)法界(ほうかい)群生類(ぐんじょうるい) 尽(じん)未来(みらい)際(さい)無疲倦(むひけん) 汝(にょ)当(とう)得(う)四(し)無碍(むげ)智(ち)」
(意味・『衆生の苦しみを救う、ありがたい諸々の仏さまの、大きな慈悲の働きによって、すべての生きとし生ける物を、あまねく救うことが永遠に続き、疲れていやになることは無いのだ、龍神よ汝は今ここで、仏菩薩と同じようにさまたげのない自由自在な、大きな智恵を得ることが出来るのだ』)の四句の文を授けられると、龍神は感応して五色の大亀と変じ、背に金の釜を負って大師に捧げられたという。
空海上人は「この神国出雲に来て世にも不思議な縁に出会い、この清浄な地で願いが叶い満足した」として、この寺を金亀山清浄院満願寺と名付けられたのである。平成元年本堂解体の折、天井より亀の甲羅がみつかったが、寺の縁起を伝承せんと奉安されたものと思われる。
この金亀(コンキ・キンキ・キンギ)は金輪(こんりん)亀(き)ともいう。
亀が水陸に遊ぶように涅槃から大悲衆生を利する故に生死に往来す。なお亀の水陸自在なるを表す。金は堅固不動を顕し、亀の長寿は常住不変に喩える。住職 仏法興隆 国家(こっけ)豊(ぶ)楽(らく) 済世利人 寺門繁栄 諸人(しょにん)快楽(けらく) を祈り、ここに「金亀」(こんき)の製作を発願するに至る。
仏師は当山の前立本尊聖観音立像の修復、弁財天の十五童子の製作、庫裡正面に掲げる月・椿・波の掛け彫刻、欅(けやき)のカブ、椿椅子、他数点の製作にあたった、鳥取県倉吉市福山 小谷和彦(仏師名・和上(わじょう))平成25年12月1日完成す。長さ90センチ、幅47センチ、高さ28センチ、重さ21㎏
この開眼により、参拝者は己の迷い煩悩を金亀に撫で移し、清らかな生まれたままの心、すなわち仏性に目覚め、身心(しんしん)堅固(けんご)不動(ふどう)にして、亀の水陸自在の功力(くりき)によって、所願成就せしめ給え、それにより亀は万年の如く、縁者に長寿と耀きを与え給え 乃至法界平等利益。
平成25年12月17日開眼

 

 


御 詠 歌
思い立ち満る願こそうれしけれ巡礼道も三十一文字


 

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高野山真言宗 金亀山
満願寺

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島根県松江市西浜佐陀町879
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