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満願寺縁起

 

(満願寺縁起襖絵)

 当山は平安時代53代淳和天皇の天長年間(828~832)に真言宗の開祖、弘法大師空海上人によって開かれた寺である。

縁起によると、空海上人は諸国巡化の為杵築(出雲)大社へ参篭しようとして、この地を通られた。
たまたま日が暮れてきたので、「どうせ急ぐ旅でもないから、このあたりで一泊しよう・・・。」と、この山で旅姿をとかれた。

身軽くなって山頂に立って四方を見わたされると、まことに風光明媚である。
地位乾燥の地にあって、南の宍道湖はその脚下を洗い、おりからの夕陽にかがやくばかり、東には遥かに出雲富士の霊峰が見え、北には佐陀の入海があってさざ波が打ち寄せ、北山山脈が静かに浮かんでいる。西は重畳と山々が折り重なって道が走り、絵に描いたようなすばらしい景色だ。

空海上人はしばらくこの景観に見とれておられたが、「この風景はまことに美しく、まさに四神相応の地(天地の神のみ心に相応の地)である。この地に暫く逗留し開山しよう・・・・。」と、その夜より一刀を刻むごとに三拝の礼をする)をし、真心をこめて彫りあげられたのが聖観世音自在施無畏菩薩座像で御丈二尺三寸(約75センチ)の本尊である。

胎内仏に日にちを記して納められると自ら壇を設け、入仏加持開眼供養された。するとにわかに宍道湖の水面がざわめきたち、数十メートルの水柱と共に数尋の竜神が姿を顕わしたのである。

空海上人は直ちにその竜神に向かって、「諸仏大悲方便力、普利法界群生類、尽未来際無疲倦、汝当得四無尋智」と四句の文を授けられると、竜神は感応して五色の大亀と変じ、背に金の釜を負って大師にささげたのである。

この竜神は高野山開創のおり縁のあった丹生津姫神であるという。空海上人は「今この神国出雲に来て世にも不思議な出来事に出会い、この清浄の地で祈願が通じ満足した」として、この寺を金亀山清浄院満願寺と名づけられたのである。

本尊は秘仏で33年に一度の開帳があり、次回は平成35年春の予定である。

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高野山真言宗 金亀山
満願寺

〒690-0122
島根県松江市西浜佐陀町879
TEL:0852-36-8483
FAX:0852-36-8499
105829